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Photography by Janny Suzuki / Terumi Takahashi

三毛門カボチャを生産する猫田信廣さん

Voice of Farmers

三毛門カボチャが歩んできた
歴史ごと次世代に
伝承する

三毛門南瓜

みけかどかぼちゃ ウリ科

Mikekado Pumpkin

福岡県豊前市で栽培されている三毛門カボチャは、16世紀半ばに伝わった日本最古のカボチャといわれている。現在広く市場に並ぶ西洋カボチャとは異なる日本カボチャ。高温多湿な気候に強いという。1928年の昭和天皇即位の大嘗祭に献上した三毛門カボチャを作った畑にて、三毛門南瓜保存会会長の猫田信廣さん。

大分県と隣接する福岡県豊前市には、文化財に指定されている伝統野菜があります。「日本最古のカボチャ」と称される三毛門カボチャです。文化財に指定されたのは、その長い長い歴史ゆえ。三毛門カボチャ保存会の猫田信廣さんは、「こんな貴重な野菜は他にないでしょう」と自負します。

猫田さんが三毛門カボチャの畑を整える様子
種蒔きの春を迎える準備に畑を整えていた猫田さん。「最近は養蜂をする人が減って花粉を運ぶミツバチがいなくなってきたので、受粉を人間が行わないとならないのが大変」。

地域の人々の命を支えてきた人助けのカボチャ

カボチャが日本に渡来したのは1540年ごろ。ポルトガル船の宣教師が豊後国(大分)を治める国主、大友宗麟に献上したと言われています。そのカボチャを豊前(福岡)三毛門村の武将(緒方鎮盛)が持ち帰り栽培を始めた……というのが、三毛門カボチャの起源。
「以来この地でずっと栽培が続いてきました。その辺のアスファルトの道端にタネが落ちてもそこで芽吹くような強いカボチャです。江戸時代の旱魃(かんばつ)や飢饉の時にも、地域の食を支えた作物でした。基本的には他の地域に出荷するような大規模な栽培ではなく、このあたりだけで消費されてきたんだと思うんですよ。ただ、明治のころにはずいぶんたくさん生産していて、近くの田川炭鉱※に出荷されよった、そういう記録があります。三毛門カボチャが、炭鉱で働く人たちも養ったわけです」

三毛門カボチャの断面
切るとメロンのような青く甘い香りが漂う。三毛門カボチャには西洋カボチャのようなホクホク感はなく、しっとりとした肉質。水分が多く皮が厚いため長持ちする。2025年夏には暑さで中が温室状態となり、収穫したら中で発芽していたカボチャがあったという。「今年は収穫時期をもっと早めないといけないかもしれない。気候の変動に合わせてやり方を変えないと」。

その後、近くに製糸工場ができたことで、カボチャではなく蚕のエサとなる桑を栽培する人が増え、三毛門カボチャの生産はずいぶん減ったそうですが、それでも戦中戦後の地域の食料難をも三毛門カボチャは支えました。「小さい頃は三食カボチャばかりでね、いやんなっちゃって、大人になってからはカボチャはよう食べませんでした」と、今年85歳になる猫田さんは笑います。
「自分で栽培するようになって久しぶりに食べたら、やっぱりおいしかった。三毛門カボチャはその長い歴史の中で地域の人たちの命を支えてきた『人助けのカボチャ』なんですよ」

歴史的背景を知った上で、栽培して食べることが大事

三毛門カボチャにはもうひとつ唯一無二の歴史があります。1928年(昭和3年)の昭和天皇即位の大嘗祭で、福岡県を代表する特産物のひとつとして献上されたということ。そのカボチャを栽培した畑では、今も三毛門小学校の3年生たちが毎年カボチャを栽培しています。
「毎年、三毛門小学校の3年生には三毛門カボチャの歴史を紙芝居を使って話しているんです。三毛門カボチャがいかに貴重なものかを理解してもらってから、実際に栽培する。そして収穫をしてね、料理をして食べる。子どもたちにそういう経験をさせる場を作ることが、この伝統野菜を未来に残していくために一番大事だと思っているんです」

猫田さんが三毛門カボチャの歴史・ストーリーを伝えている様子
昨年の三毛門小学校の3年生の収穫は300個にもなったそう。持って帰ったり、給食に使われたりした。

個性的な見た目が三毛門カボチャの印

そんな伝統野菜、三毛門カボチャを味わうのにぴったりの郷土の味が、団子汁。皮を剥いた三毛門カボチャを粥状になるまで煮込み、砂糖と塩で味付け。小麦粉を練って作った団子を落とします。鮮やかな黄色のお汁粉のような椀ものです。
「昔はどの家庭でも食べる日常の料理でしたが、今は作れる人も減ってきました。保存会では季節ごとにイベントを行い、地元の人や来訪者に団子汁を食べてもらう機会を設けています」

三毛門カボチャの団子汁
団子汁は大分や福岡などでも食される郷土料理。その多くは野菜や豚肉が入った豚汁のようなものに小麦粉を練った団子(麺のことも)が入るが、三毛門の団子汁はこのように三毛門カボチャのみを使った独自のもの。

保存会が行っているイベントのひとつには、品評会があります。今年一番の出来の三毛門カボチャを決める会で、三毛門カボチャを作っている人なら誰でも出品できます。審査をするのは保存会のメンバーだけでなく、市役所や福岡県農林事務所、JAの職員といった面々です。
「この品評会は品種を守るという意味合いもあります。菊型の形、熟すと実にうっすらと浮かぶ白粉の着き具合、五角形のヘタ、大きさや重さなど、三毛門カボチャならではの特徴をしっかりと有しているかどうかが審査の基準になるからです」
生産地については限定しないのですか? と訊ねると、「どこで作ってもこの見た目で『三毛門カボチャだ』と分かるでしょう?」と猫田さん。
「このカボチャを受け継いで、長く栽培を続けていってくれる人であれば、三毛門の人でなくても喜んで種をお分けします」

三毛門カボチャのタネ
昨年収穫したカボチャから取ったタネ。西洋カボチャのタネに比べて、色が白く平べったい。来年の実りがここから生まれる。

進化しながら伝統文化=三毛門カボチャを守っていく

実際に、タネを分けてもらって三毛門カボチャを育てている地域があります。大分県臼杵市です。
「このカボチャはもともと大分から三毛門に来たわけですから、里帰りということでニュースにもなりました。大分県では栽培が途絶えてしまったけどまた復活させようということで、臼杵市からタネを分けて欲しいと依頼があってね。今あちらでは、宗麟カボチャという名前で栽培されているんですよ」
大分からやってきた三毛門カボチャがまた大分へ帰ったように、在来品種の野菜は各地に伝わって栽培が続いているものも少なくありません。各地で新しいストーリーを紡いだり、変わらずその土地で歴史を重ねたりしながら、未来へ受け継がれていきます。
「最近、新たに三毛門カボチャを作ろうと取り組んでくれる若い人も出てきました。保存会でも三毛門カボチャを使った焼酎やアイスなどを製造して、消費を増やそうとしています。今、農業の形そのものも変わりつつありますよね。三毛門カボチャはずっと露地栽培ですが、もしかしたらハウス栽培になるかもしれないし、何か新しい農業技術を使って栽培が続いていくかもしれない。そういうふうに変化したり進化したりしていくのと並行して、450年以上続く三毛門カボチャの歴史をきちんと伝承していくことで、この野菜を、この三毛門の宝を、守っていくことができる。そんなふうに考えています」

福岡県田川市にあった三井田川炭鉱。明治から昭和の主要炭鉱。1964年に閉山。

取材・文 / 川瀬 佐千子
写真 / 西田 優太

猫田信廣さんのプロフィール画像

Farmer

猫田 信廣さん

1941年福岡県八幡(現北九州市)生まれ。大学卒業後中学校教諭として北九州地域を中心に福岡県内の中学校に勤務。校長や教育委員会を歴任して定年退職後、福岡県豊前市の三毛門公民館長に就任。地域活性化の取り組みのひとつとして、三毛門カボチャの保存・普及に勤める。現在は、自身も生産者として三毛門カボチャの栽培に取り組みながら、三毛門カボチャ保存会の会長として、子どもたちへの伝承から三毛門カボチャの商品企画まで、精力的に活動する。

参考文献

『日本のうつくしい野菜』(warmerwarmer/オレンジページ)『野菜 在来品種の系譜』(青葉高/法政大学出版局)『三毛門南瓜今昔物語』(猫田信廣/三毛門南瓜保存会)「三菱商事アグリサービス MJ Vol.638」『三毛門村史』(築上広報協会)「クロスロードふくおか 日本最古の三毛門かぼちゃ/ぶぜんみたいけん 三毛門カボチャのダンゴ汁とランチづくり」「地域づくりネットワーク 福岡県協議会」

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